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sea to summit2014 DAY5
2014-08-13 Wed 08:34
 起床は予定通り0330。無常にも雨の音。玄関先で遭対協の隊員さんが佇んでいたので、しばし話を。予報では回復しそうだが、今ひとつ雨脚が弱まる気配を感じない。野口五郎岳方面は吹きっさらし地帯が延々と続くので、明るくなってからのほうが無難。結局、昨夜懸念された不安が的中してしまう結果となった。部屋に戻り、用意してもらっていたおにぎりを食べて時間が経つのを待つ。他の登山者達もボチボチ起床し、準備に取り掛かっている。気の早い人たちは、0500前には出発している。高瀬ダムに向って下山するだけの人だろう。下界が恋しい。

 小屋の人たちの朝食が終わり、いよいよ皆が出発に取り掛かる時間となった。同室だった滋賀・松本の親爺さんたちも合羽を着込んで玄関に向う。一時は停滞も頭をよぎったが、昨晩親爺さんたちに励まされた事を思い出し、雨中行動する事を決断した。自分も速攻で合羽を身に付け、ザック類も雨中行動対策を施し、玄関へ向う。遭対協の隊員さんも笑顔で送り出してくれる。小屋の親爺さんからも一声貰った。よし。行こう。松本の親爺さんと別れを惜しみ、ただ一人野口五郎岳方面へと足を踏み入れた。
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 烏帽子小屋を出て暫くは樹林帯。雨風を感じるが、さほど苦に感じることはなかった。しかし、その後、稜線に出ると様相は一変。天狗山荘出発時に匹敵する暴風雨。今回は暴風だけでなく大粒の雨も伴っているため、苦痛は倍以上。その上、ザックカバーを装着している事から、ザックカバーが飛ばされる心配も大きかった。何故なら、ザックカバーを固定するためのバンド(ザックの背面を通して固定する物)が届かず、サイドポケット近辺の紐に緊急避難的に巻きつけただけだったのだ。これでは、強風が吹き込んできたら一たまりも無く吹き飛ばされてしまうだろう。よって、行動中は常に風上側に余裕を持たせた配置になるよう気を配らなければならなかった。

 幾つかピークを越えた。正直、ガスと強風と大雨により、現在地の把握は困難だった。いつ三ツ岳を過ぎたのか分からないし、野口五郎小屋に近付いているのかどうかも分からなかった。消化器系・膝を含めて体調は悪い。天候も悪いため、自分がどの程度のペースで歩けているのかサッパリ見当が付かなかった。しかし、何の前触れも無く道端に「400m」と書いた石が置いてあることに気付いた。何が400m?三ツ岳山頂?野口五郎小屋?野口五郎岳?三ツ岳山頂やったら軽く死ねる。想定45分のところを1時間半近くかけて到達するなぞ考えたくもない。野口五郎小屋やったら嬉しいけど、ちょっとペース速すぎやろ。野口五郎岳は更にないな。と考えつつ、300m、200m、100mと近付き、目の前に小屋が現れた。歓喜の咆哮を上げながら入口に回りこみ、小屋にお邪魔させてもらった。
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 野口五郎小屋に入ると、番台にスタッフと食堂に数名のお客さんが佇んでいた。冷ややかな視線を感じたので、土間の片隅で一寸だけ休憩させてくださいとお願いし、カロリーメイトを食べる。何か誰も話しせんし、非常に雰囲気が重たかった。招かざる客を痛感したので、5分とたたずにザックを背負い、小屋を後にした。

 心で泣きながら野口五郎岳へ登る。途中、ルートが分からなくなり周囲を徘徊したが、5分程度でルートに復帰し、事なきを得た。そして知らぬ間に下り斜面へ。知らん間に野口五郎岳を通過していたらしい。この悪天候に引き返す気力もなく下りに進む。ここで雨中行動嫌いの性格が為せる業か、速歩から走りに変わった。基本、山の中では走れないのだが、あまりの悪天候と雨中行動のストレスからNT-Dが発動し、野口五郎岳の下りを目一杯走った。今回の山行で走ったのはこの箇所だけ。よっぽど早く行動を終えたい衝動に駆られていた証左だろう。

 雨風とも治まる気配の無い中、水晶小屋に到着した。古びた外観の小屋だったが、中に入ると小奇麗に整備されており、土間の雰囲気も明るかった。番台にいたスタッフにカップヌードルを注文し、一息つくことにした。傍にいた兄ちゃんに声をかけられ、喰いながら話す。前日は雲の平で泊まったらしく、景色は最高だったとの事。羨ましい。私もいつかは雲の平に行ってみたいものだ。北アルプス奥部に位置していることもあり、なかなか足を踏み入れる機会がない。2泊3日くらいでじっくり歩きたいエリアだ。
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 さわやか兄ちゃんと互いの健闘を祈りあい、店員さんと手拭い・Tシャツデザインの良さを語りつつ水晶小屋を後にした。非常に雰囲気の良い小屋。また今度宿泊しに来たい。水晶小屋を後にすると、いよいよ鷲羽岳へ。この日一番の登りだ。集中を切らさず只脚を進める。幸いカップヌードル摂取後の吐気はなく、無事エネルギー変換が成されているよう。体が調子を保っている間に登れるだけ登らねば。
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 何の感慨もなく鷲羽岳登頂。本来であれば、裏銀座・雲の平とその周辺の山々・薬師岳・槍穂連峰・表銀座の山々が一望できる秀峰なのだが、当然の如く視界は50m程度。お陰で未練なく下山の途につけたが。リズムよく下り、11時には三俣山荘に到着することが出来た。天候・体調が悪すぎた場合、最悪ここで行動終了も覚悟していたが、午前中に到達できた事を喜んだ。スカイレストランに上がり、食事をする事に。しかし、カップヌードルを食べてから間がなかった為、さほど腹は減っていない。仕方なくホットカルピスを注文する事にした。が、これが曲者。なぜか注文してから提供されるのに20分も要してしまい、貴重な時間を浪費した。こんなんやったら注文せんとスルーしてたのに。客もさほど多くなかったのに、全く以って想定外のタイムロスだった。
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 速攻でホットカルピスを飲み干し、ザックを背負って双六方面へ。こんな悪天候なのに思いのほか登山者は多い。所々で渋滞に巻き込まれる事態となった。これも大いなる想定外。こんな所で渋滞が発生するとは。仕方なく最後尾を大人しく付き歩き、双六山荘へと向った。
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 三俣山荘以降のタイムロスにより、本日中の槍ヶ岳山荘到達は困難となった。無理をすれば行けるのかもしれないが、西鎌尾根を3時間半登る事を考えると正直厳しい。天候・体調共に優れない今、このチャレンジは無謀と言える。大人しく双六小屋に宿泊し、今日も鋭気を養う必要がある。そう決まると気は楽なもので、歩くスピードも自然とゆっくりになった。

 こうして13時、双六小屋到着。今まで泊まってきた山小屋とはスケールが違い、各施設も充実した山荘だった。宿泊手続き前に合羽を干し、次いで手続きを済ませる。部屋に案内され、着替えを用意し乾燥室へ。着替えスペースも用意してあり、快適な環境で暖かい衣類に着替えることが出来た。その後、牛丼を注文して昼食に。胃痛・下腹部痛は残る物の、何か腹に詰めておかねば。時間をかけて完食し、部屋へ戻る。5人部屋だが私しか案内されていない。2段寝床の下に布団を敷き、横になる。登山をしに来ているのに午睡できるこの贅沢。堪りませんな。こんな至福のひとときがあっただろうか。いや、ない。
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 夕方になり、食事前、乾燥室に行ってみる。濡れ果てた衣類はあらかた乾いていた。恐るべき大型乾燥機。靴下や手袋は湿気を帯びていたので翌朝取り込むこととし、乾いた衣類を再度身に付け夕食へ。この日のメニューも魚メイン。健康的ですな。相変わらず食欲はないが無理に詰め込む。吐気をもよおすが気にしない。時折、前に座る白人男性が話しかけてくる。お互いの登山行程を話すと、コチラの行程に興味を持ったようだった。同行しているであろう女性2人も加わり、山談義に花が咲いた。この日は暖かいお茶はお変わりした物の、ついに御飯・味噌汁をお代わりすることはできなかった。

 夕食を終え、歯磨き雪隠へ。一通り所用を終えた後、受付周辺の各種パンフレットなどに目を通す。幸運にも高速バスのパンフレットがあり、下山後の交通手段を調べる事にした。恐らく明日は穂高岳山荘まで。下山するのは明後日の土曜日になりそう。0400に穂高岳山荘を出発するとして、ロープウェイにしほたかぐちに到着するのは10時半前後。そっから新穂高に降りて風呂入って昼飯喰って…バス乗るのは12時頃やな。新穂高からバスん乗って高山行って。そっからバスで名古屋行くか。時間かかるけど名古屋からしらさぎ乗って帰ったらいいやろ。大まかな時間を確認し、自宅までのルートを確定した。
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 結局、私が宿泊する部屋にはもう1人入室があったのみで、5人部屋を2人で使用することとなった。彼は若いトレイルランナーと言った風体で、新穂高から双六まで上ってきたと。天候が悪いのに頑張る人だ。明日は近場を回ると言っていたが、天候が悪いので躊躇しているらしい。そりゃそうだろう。山は天気が良くてなんぼ。風景が楽しめない登山なんて苦行以外の何物でもない。互いに明日以降の安全を祈りつつ、この日は就寝した。
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sea to summit2014 DAY3
2014-08-11 Mon 06:48
 3日目の朝は急に襲いかかってきた。いや、厳密に言えばまだ3日目にはなっていなかった。2日目の晩、21時頃に睡眠に入り、23時過ぎに暴風により文字通り叩き起こされたのだ。思い出される比良山系での夜。あの時も夜中に強風でテントが潰される勢いとなり、緊急撤収中に無常にもポールが破断したのだった。今晩も同程度かそれ以上の強風であり、風向が一定せず、四方八方からテントを変形させる強風が吹きつける様には緊張を強いられた。ヘッドランを点灯し、不測の事態に備える。

 0時過ぎ、風が衰える気配が無いので、一応、安全確認をと考え外に出る。そこには無常な光景が。フライシートがペグ1本に辛うじて支えられながら、暴風にはためいている。あっぶね。もう少し外出るの遅れてたら完全に飛ばされてたわ。風による体温の低下も洒落にならないので、速攻でフライを再装着し、ペグを打ち直し。テント本体のペグもしっかりベタ打ちしてテント内に引っ込んだ。

 しかし、その後も風が衰える気配が無い。他のテント住人も定期的にテント確認作業に起きてきている。夜はまだ明けない。今回の山行の事を考えれば、できれば睡眠をとりたい。行動時間の長さ・標高の高さ・運動による体力の消耗…何れをとっても身体に対する負荷の大きさが半端じゃない。十分な休息は長期登山の鉄則だ。しかし、安眠を確保できない今、TJARの様に夜間行動をとって行程を進めるのも一つの方法と言える。しかし、ここから先の行程は難所といわれる不帰キレット。平穏な昼間に通るにも細心の注意と万全のコンディションが要求される急峻な岩峰の数々。事故が多く発生している箇所でもあり、この様なコンディションで夜間行動するのは自殺行為に等しい。。。思い悩みつつ、テント内で天候の回復を願った。

 0200、天候の回復が期待できなくなり、夜明け時間も徐々に近付いてきた事から、撤収作業に取り掛かった。この時の撤収は迅速であり、比良山系での緊急撤収の経験が大いに役立った。ザック内に装備を一通りブチ込み、テントを出た後は速攻でフライ収納・ポール抜去・ペグ抜去・テント収納と流れるように撤収が完了した。その後、天狗山荘へと移動。今回、非常に幸運に恵まれたと感じたのは、天狗山荘に立派な自炊小屋があった点だ。自炊小屋は夜間でも施錠されておらず、パッキングを完了した後、夜明けまで時間を潰すのに最適の空間だった。

 0300、まだ夜明けの気配が感じられない深夜だが、この日のルートの厳しさを考えこの時間に自炊小屋を出発。ありがとう天狗山荘。イレギュラーな使い方をしてしまって御免なさいと心で呟いて山荘を後にした。が、稜線に出ると小屋周辺の比ではない暴風。風の壁が身体に打ちつけ、強大な圧力で押し返してくる。こいつぁ無理だ。自炊小屋へ戻る。0430、再度出発。しかし、稜線で同じように押し返されて再び自炊小屋へ。やばい。かなりヤバイ。まだ3日目の不帰キレットを前にこの足踏みは致命的にやばい。こんな場所で時間を無為に浪費する訳にはいかない。気持ちが焦る。大いに焦る。0500、テントで泊まっていた親爺さんがテントを抱えて自炊小屋へ避難してきた。ほうほうの体で撤収してきたらしい。親爺さんと昨晩の暴風について愚痴りあっているうちに、数名の登山者が不帰キレットの方に進む姿が見えた。行けるかな…でも、あの風じゃ危険すぎるな…と考えているうち、親爺さんはテントをたたみながら不帰キレットに向うと私に告げた。そうか。親爺さんも行くのか。意を決した。エリアには数名の登山者が入っており、風と霧は凄い物の、明るさは確保されている。よし、行こう。皆が行けるなら自分も行ける筈だ。
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 0530時、三度天狗山荘を後にする。濃霧に包まれながら風に煽られ不帰キレットを目指す。前方に3人パーティがいたが、進むべき方向を見失っているようだったので、登山ルートを指し示す。先ずは天狗の頭までの行程だ。難所までのウォームアップ箇所といったところ。天狗の頭に到達すると、そこからは天狗の大下り。ガレ場の下りであり、落石やスリップの危険が付き纏う。幸い前後に人がいなかったので、他人の落石を気にせず進むことが出来た。下りきったところからは不帰キレット本番。切れ立った岩峰が幾重にも連なり、その岩頂を時に巻き時に登り詰めつつ唐松岳へと繋がる。危険箇所には鎖やアンカー、梯子などが設置してあり、不測の事態に陥らないよう最低限の整備がなされている。
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 風は収まらず、視界もさほど利かないコンディションだったが、私の身体は軽かった。計画当初は難所での渋滞を懸念していたが、朝イチに入った事もあり、自分のペースで快調に進めることができた。睡眠不足の割には、さほど影響を感じることはなかった。0720、唐松岳到達。視界が利かないので通過し、頂上宿舎を目指す。程無く頂上宿舎に到着し、ザックダウン。丁度、北アルプス遭難対策協議会(遭対協)の隊員さんがいたので、これから先のコース状況を確認する。曰く、風が強く天候は良くないが、不帰キレットを渡って来たのであれば大丈夫だろう。五竜岳・鹿島槍はストックを使う箇所は無いので、そのままザックに納めたままが良い。との事。隊員さんから肯定的な言葉をかけてもらい、熱い心を胸に頂上宿舎を後にした。

 ここから先は今まで一度も脚を踏み入れたことの無い山域。五竜岳~鹿島槍ヶ岳は難所が続く縦走路として知られており、休むことが出来る山小屋も限られてくる。厳しい行程だが、脚を止める事は許されない。出発の時点で1時間半のタイムロスを喫している以上、躊躇無く先を急がなければならない。とは言え、五竜山荘が近付いてくると天候が回復してきた。晴れ間が見えるわけではないが霧は晴れ、風もさほど強くなくなった。やっと気が休まると思った0830五竜山荘到着。ここで食事をと考えていたが、困った事に軽食提供時間前なので、食事にありつくことができない。仕方なくベンチに戻り、パンをパクつきながら思案。(思ってたよりも行程が速く進んだでな。予想外のアクシデントやけど仕方ないやろ。次のキレット小屋まで3時間前後か…。難所続きのところやけど、そこで昼メシ喰うことにするか)。思い立ったが吉日、パンを歩きながら喰うことにし、速攻でザックを背負い五竜岳を目指した。
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 五竜岳への登りでは先行パーティが苦戦していた。岩稜歩きは慣れていないのだろう。安全が第一だ。焦る事なく間合いを取って歩き、一緒に五竜岳に到達した。五竜岳からは単独行動。難所らしい岩場も連続し、気を抜く暇も無い。だがそれがいい。空腹に悩まされ始めた頃、キレット小屋に到着。ようやく安堵できる瞬間だった。
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 キレット小屋に入ってみると、食事提供はカップ麺のみ。軽食喫茶の類はなし。場所柄仕方ないだろう。どん兵衛とカップヌードルを注文し、待っている間ペプシを飲み干す。カップ麺が出来上がり、喰いながら今後の行程を計算した。(この時点で1100。できれば新越山荘まで進みたいが、夕立などを考えると、冷池山荘か種池山荘宿泊が妥当。まだアップダウン続くしな。無理せんと行けるところまで行って決めよう)。昼食を平らげ、人影少ないキレット小屋を後にした。
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 エネルギー補給が完了したためか、体の動きにキレが戻ってきた。難所も終わったので、ダブルポールでリズム良く進む。と、鹿島槍北峰を通過。想定していた時間よりも60%も速い!どっかにワームホールでもあるんか!?!驚きつつも先に進む。その後も快調に峰々を越え、爺ヶ岳~スバリ岳の稜線が見えてきた。冷池・種池の各山荘も見て取れる。思いのほか近い。これはもしかしたら新越山荘までいけるか?よし、行こう!天気が何日持つか分からん今、少しでも行程を進めていこう!
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 冷池山荘 - 爺ヶ岳 - 種池山荘と息つく間もなく進み、ようやく最後の1ピッチ。予定では1時間40分程度で到達するはず。しかし、種池山荘からのアップダウンは思いの他多く、ペースは全く上らなかった。それでも集中を切らす事無く歩き続け、1600新越山荘に到着。長く感じた1日だった。2つのキレットを越え、後立山の主峰群を踏んだこの行程は、感慨深かった。今回の山行のハイライトと言っても過言ではないだろう。ともあれ、心身とも無事に宿泊地に到着できた事に感謝した。
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 さて、振り返ってみれば登山歴20年を超えた自分だが、営業小屋に宿泊するのはこれが初めてだった。中学生の時などに白山室堂に泊まったことがあるが、白山室堂は山小屋とはちょっと違うだろう。帳場に行って宿泊手続きをお願いすることは新鮮だった。山小屋の夕食というものに憧れていたので、何が食べられるか期待で胸が膨らんだ。翌日の朝食については早立ちのため、おにぎりにしてもらった。つつがなく宿泊手続きが完了し、部屋へと案内される。比較的新しそうな小屋で、収容人数にも余裕があった。私が泊まる部屋は8人部屋で、他の皆さんは既に到着し、私は隙間にお邪魔する形となった。早速着替えや小物整理などを終え、一息つくことができた。部屋の中は静かだ。何かイメージと違う。もっと皆が談笑しているモンなんじゃないか?等と考えていたが、静かな雰囲気も嫌いではないので、ありがたく仮眠をとらせてもらった。

 束の間の仮眠の後、夕食タイム。待ちに待った時間だ。これと言って変わったものはないが、山で食べるには満足な献立。魚のフライがメインだったのは残念だが。それでも完食。山で好き嫌いなんて言ってられない。御飯・味噌汁もお代わりし、明日に向けたエネルギー補給は完了。大変満足でございました。

 テレビで天気予報を見て明日以降の行程を考える。明日以降、日中は晴れやすいが夕立が多いとの事。行動時間の切り上げが問題やな。あと、テント泊じゃなくて小屋泊まりに変更する事も想定せにゃ。。。などと考えながら部屋へと向う。布団を敷きなおし、明日の出発の準備を整えて横になる。左側にいる爺さんはしきりに柱が邪魔である事をアピール。誰にアピってんだか。この爺さん、夕食中も盛んに小首をかしげて食事内容に不満をアピっていた。決して大きな声では言わず、小声でブツクサ言うあたり腹立たしい。文句あるなら喰うなよ。自分でメシ持って来い。
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sea to summit2014 DAY2
2014-08-10 Sun 22:20
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 今回の山行は、全て0300起床の0400行動開始予定で組んでいた。2日目の朝、0300頃に下の階にいた東京からのパーティーが登山準備を始めた音で目が覚めた。パッキングは前夜に済ませていたので、手早く朝食を摂って小屋を出る。外は雲一つ無い快晴。星空も下弦過ぎの月も美しい。3時半、奥様方に見送られながら出発。この日の予定は栂海山荘→白馬山荘or天狗山荘。

 前日苦しめられた筋硬直も、さほど影響は残っておらず、体は快調に動く。衣類は昨日の汗による濡れを残しているが、行動している分には寒さを感じる事はなかった。ヘッドライトに照らされた、刈られたばかりのチシマザサが覆う登山道をスイスイ進む。山岳会の皆さんに感謝。真面目に草刈をしていただいたお陰だ。

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 時間を追うにつれ、空が明るさを増す。黒岩山~長栂山~朝日岳の稜線が次第にその姿を露わにしてきた。前回登山で完全に心を折った光景。遠すぎる朝日岳の頂に何度絶望を叫んだ事か。しかし、今日は時間的にも体力的にも余裕がある。ザクとは違うのだよザクとは。脚に負担をかけぬ様、ダブルポールを効果的に使って先を急ぐ。

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 アヤメ平を前にして、いよいよ雪渓が登山道に広がってきた。今回、ストックを持参したもう一つの理由は雪渓歩行にあった。朝日小屋サイトからの事前情報では、朝日岳周辺は例年よりも残雪が多目らしい。アヤメ平には急傾斜にステップが切られ、朝日岳水平道は積雪により通行止めとの事。緩い傾斜の雪渓であれば登行していく自信はあるが、ある程度以上の傾斜になるとトレイルランニングシューズでは太刀打ちできない。軽アイゼンを持つかピッケルを持つかの選択が常識なのだろうが、ファストトレックでその選択はありえない。今回は蛇除け兼雪渓仕様としてトレッキングポールを使用することとした。結果として、雪渓上歩行はトレッキングポールで何の問題も無かった。気温が比較的高かった事もあり、夜明け直後であってもポールのピックは雪渓に良く効いた。シューズソールの頼りなさを補って余りある支持力であった。

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 鬱蒼とした樹林帯を抜け、いよいよ森林限界へ。いよいよ栂海新道もクライマックス。軽快に長栂山を抜け、8時朝日岳へ。遂に北アルプス北端へ到達した。ここからは後立山連峰に進む高山帯。景色の美しさとは裏腹に、薄くなった酸素が身体を蝕んでいく。日差しも昨日より強く、ジリジリと肌に突き刺さる。近付く雪倉岳。この山も前回登山では苦杯を舐めさせられた。満身創痍の状態で登らされた無慈悲な瓦礫地帯。そこには神も仏もいなかった。今回はダブルポールで淡々と登っていく。心を無にして只々脚を進める。邪念を纏っていてはいけない。

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 雪倉岳を制し、避難小屋を経て三国境へ。次第に人が増えてきた。流石北アルプス北部。人気の高さは伊達じゃない。そこかしこで休憩しているパーティーの横をすり抜け、白馬岳を目指す。3000m近くまで登り、みんな疲労が隠せないのだろう。そう言う自分も空腹に包まれ、もはや目的地は白馬岳ではなく、白馬山荘スカイプラザ。山頂を制する覇気なぞ微塵も無く、スカイプラザのメニューに思いを馳せるのみであった。

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 無事白馬岳を通過し、白馬山荘スカイプラザへ。速攻でラーメンと牛丼を注文し、備え付けの冷水に噛り付いた。冷水の旨い事!程無くして注文した品が届き、貪り喰う。五臓六腑に染み渡る。山で喰う飯の旨い事!普段は見向きもしないラーメンスープも飲み干し完食。その脚で村営宿舎に移動し手紙をポストに投函して再出発。

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 時間が遅くなってきたので、この日の行動は天狗山荘までとした。となると、当初予定になかった白馬杓子岳が気になる。白馬三山と呼ばれるだけあって、全ての頂を踏んで行きたい。疲労した身体に鞭打って杓子-白馬鑓を踏み、無事天狗山荘へと到達した。
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 天狗山荘到達は16時。既に夕闇迫る時刻だった。多少風はあるが、幕営するには何の問題も無い天候。雨が降る気配も無く、幸運にも繋がった携帯からも、天気予報は崩れない旨を示していた。家族・職場に電話を入れ安否確認終了。FBにメールでアップロードし、やるべき作業を全て終えた。テント内に入り、携行食料を口にする。2日目にしてなかなかハードな行程だったが、体力の消耗は危険を感じる程ではなかった。急激な心拍上昇・筋硬直に気をつけて行動し、行動食を小まめに摂取すれば大丈夫との確信を得た一日だった。
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sea to summit2014 DAY0~DAY1
2014-08-09 Sat 22:04
 2014年の夏は冷夏と春の段階から予報されており、梅雨明けの遅れ・天候不順・気温低下などの不安が常に付き纏った。しかし、そんな気象庁の予報をよそに小笠原気団はその存在感を存分に発揮し、7月10日を過ぎると沖縄~九州南部を梅雨明けさせ、週間予報でも晴マークを連発させる活躍を見せてくれた。21日の海の日3連休過ぎに信越地方の梅雨明けが期待されたため、職場には1週間の休暇を申請し、15日にはパッキングを済ませて登山準備は滞りなく完了した。

 そして海の日3連休。19日土曜は地区の夏祭りだったため飲酒。ご機嫌で帰宅し就寝。20日日曜は昼前に山田氏と待ち合わせて親不知へ向う手筈。しかし、未明の雷雨で早朝予定されていた廃品回収が中止となり、朝食後には出発できる状態となった。おあつらえ向きだ!今回のハードコースを考えれば、1日目から行動時間をしっかり取り、可能な限り距離を稼ぎたい。リードタイムは多いに越した事は無い。と言う事で山田氏に打診するが、相談の結果、出発時間は従来通りと。山田氏御免。無理言った。

 1000丸岡ICにて合流。快適なハイブリッドフィールダーは滑るように北陸路を進む。真夏の日差しを浴びながら、男2人は親不知に降り立った。9年ぶりの親不知観光ホテル。清掃中の館内にお邪魔し、最後のウォシュレット。12時半、ホテル横の階段を降り日本海へ。灼熱の太陽と紺碧の海。気分はビーチでバカンス。しかし、私に残された時間は少ない。今日中に栂海山荘まで行かねば、明日以降の行程に差し障る。サッサと小石・海水を採取し、ザックにパッキング。山田氏に別れを告げて国道8号線を渡った。

 sea to summitの序章は栂海新道。親不知から朝日岳直下までを結ぶルート。海抜0mから登り始めるわけで、真夏の低山が堪能できる。とにかくクソ暑い。全身汗ダク。しかし、急がねば明るいうちに栂海山荘まで行き着かない。午後からは夕立の予報も出ている。ゆっくり登る事は許されない。前回の反省を活かし、筋疲労を覚えないペースで登るが、HRは160~170と高め。果たしてどこまで心肺筋力が持ってくれるか。

栂海新道入口


 もう一つ心配されたのが、蛇蜂虻蚊。ネットで登山報告を調べてみると、かなりの確率で蛇虻に悩まされると書かれていた。その対策としてトレッキングポールを購入。登山道を横たわる蛇がいた場合、強制排除して進む事が出来る優れものだ。。。しかし、今回は幸か不幸か蛇蜂虻に悩まされる事は無かった。まぁ不幸って事はないな。最大の幸運と言っても過言ではないかも知れない。

坂田峠を過ぎると次第に日は陰り、ガスに包まれるようになった。外気が涼しく感じられるようになり、体力の消耗も押さえられてきた。しかし、焦りが影響したのか次第に筋の硬直が顕在化してきた。右足の下腿・左足の大腿部が断続的に硬直を起し、足運びを間違えば攣りかねない状態。ダブルポールを使って騙し騙し歩く事により、何とか窮地を乗り切った。

白鳥小屋


 シキ割を過ぎたところで、山奥から「ホーッ!ホーッッ!!」と謎の雄叫びが響き渡ってきた。暫く歩くと、道端にテントが建てられており、傍らに男性が立って山奥を見つめている。コチラに気が付くと「サルが近くにいる」と言い、注意を促してきた。この男の人はサルに囲まれて一晩テントで過ごすのか…と思うと他人事ながら身の安全を祈らずにいられなかった。

 ペースも次第に落ちてきた頃、黄蓮の水場に到着した。ここに来るまで相当水を消費した。明日の行動を考えれば、ここで水をフル補充しておく必要がある。幸い水場の水量は豊富で、ハイドレーション2リットル・水1リットルをつつがなく補給完了。これで朝日岳までは問題なく持つだろう。あとは重さに耐え、栂海山荘まで登りきるのみ。

16時、待ち焦がれた栂海山荘に到達。待ちに待った宿泊地。時間は遅くなってしまったが、夕立もなく無事に山荘まで歩いて来れた。山荘の扉を開けると、そこは談話室だったようで、中から親爺さんが歩み出、「小屋に入るのは隣から。今日は人が少ないから2階でユックリ休みな。お疲れさん」と声を掛けてくれた。後で話を聞いてみると、どうやら登山道整備の地元山岳会の方々らしい。再度山荘の扉から入室し、利用金2000円を支払って教えてもらった2階のスペースへ移動する。中々広い。ちゃんと一人分のスペースが区切ってある。しかも銀マット+毛布数枚が各スペースに用意してあり、マット・シュラフなしでも泊まれる素晴らしさ。ここまで苦労してきた甲斐がある。早速、夕食・身支度を整えて1900過ぎには就寝。

栂海山荘


 しかし、そうは問屋が卸さなかった。海の日3連休に地元山岳会が登山道整備した後に山小屋で大人しく寝るだろうか。答えは否である。隣の談話室から洩れるランプの明かりが妖しさを増して来た頃、宴は更なる盛り上がりをみせた。とは言っても、事実上一人の親爺さんが盛り上っていただけだったのだが。親爺さんは盛んに会の活動・メンバーの活動について熱く語り、周りのメンバーも付いて行くのがやっとだった。かと思ったその時、突然若手メンバーと思しき男性を名指しし、「お前!真面目にやれってんだよ!!」と絡み始めた。全員「何を?」と疑問符に包まれた次の会話…「お前、独身だろ!」 「ハイ」 「だからお前!真面目にやれってんだよ!!!」 「何をですか」 「結婚に決まってるだろお前!真面目にやってんのか!」 「ハイ」 「どんな事だよ!?」 「まぁ、友達らと食事とか…」 「バカ!!お前!全ッ然駄目だよ!!そんなんじゃぁ!!!」 …等と駄目出しの連発。これじゃぁ若手男性涙目だ。一しきり親爺さん吠えた後、他の年配会員が「じゃぁどうやったら真面目に結婚できるの?」と聞くと、親爺さん曰く「ニット教室とか行くんだよ!ニット教室!!そこで女の子と仲良くなるんだよ!!!」と答えて一同爆笑。そんな親爺さんも酒に呑まれてはいたモノの良識は失っておらず、「おい、8時ンなったぞ!」との号令一下、メンバーは大人しく就寝準備に取り掛かり、山荘に静寂が戻された。

山荘内1
山荘内2
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sea to summit2014 その1 -sea to summitとは-
2014-08-08 Fri 22:04
文字通り、海辺(sea)から山頂(summit)までを表す言葉。その他に使われる用例として、mont-bell社が主催しているアウトドアイベント(カヤック・MTB・トレッキングを組み合わせたプチアドベンチャーレース)や、ライトウエイトギアのアウトドアブランドとして有名なSEA TO SUMMITなどがある。

 まぁ、横文字を使って格好良い事を言ってみたものの、要は「北アルプス長期縦走」とか「北アルプス長期登山」って言葉で片が付く。

 今回は、新潟県親不知海岸から北アルプスの主峰群を踏破して西穂高岳に至る全長120km余りのを登山ルートとして設定し、6日~9日かけて踏破する予定を立てた。

 stsの事を知ったのは何時だったか覚えていない。しかし、2005年9月には1度挑戦しているので、少なくとも2004年には親不知~北アルプスのルートが存在している事を知っていたのだろう。
 
 前回挑戦時は、35㍑のザックに食料をパンパンに入れて、20kg近い重量を背負って登山に挑んだ。入山前日に親不知観光ホテルに宿泊し、ホテルのマスターに登山計画書を提出して情報を得た。その場でマスターに装備のコンパクトさを誉められ、お墨付きを貰って登山に臨むことが出来た。

 そして翌日、登山1日目。前夜から寝付きが悪く、睡眠を諦めて2~3時間睡眠で午前1時過ぎから登山を開始した。深夜の日本海を出発し、暗闇に恐れ戦きながらの登山。気が焦り、かなりのハイペースで次々ポイントをクリアしていく。菊石山を過ぎた辺りから新調した登山靴による靴擦れに悩まされ、サワガニ山からは脚の痙攣と関節痛、黒岩山からは重度のハンガーノックと散々な目に遭いながら、16時に朝日小屋に到着。気力体力はほぼ残っておらず、這うように幕営の後、就寝した。

 明けて2日目。予定であれば4時起床5時行動開始だったが、体が全く動かず、気力も漲る気配が無いので7時まで就寝し、8時行動開始。体調は全く戻っておらず、雪倉岳までの登りで距離の遠さに愕然とし、避難小屋で宿泊。3日目に白馬大雪渓を下って下山という何とも情けない山行だった。

 それから9年。40を来年に控え、体力に陰りを覚える年になり、多少厳しい登山に挑戦するには残された時間が少ないと感じるようになった。今回はしっかり準備し、成功を収めたい。2013年から装備の購入や1泊2日のファストトレックなどで経験をつみ、sea to summit 2014成功に向けて歩み始めた。

 しかし、準備は順調とはいえなかった。一気に装備を揃える事は困難だったし、トレーニング山行も1回しか行けなかった。5月のトレーニング山行では比良山系に入り、1泊2日でロングコースを往復し、長時間行動に対するノウハウを蓄積する事が出来た。しかし、如何せん標高差の少ない山域であり、本当であれば6月、7月に1回ずつ1泊2日で標高の高い山域をファストトレックする予定だったが、諸事情により断念せざるをえなかった点は大きな不安要素といえた。

 日々の生活においては、片道1~2時間の自転車通勤、若しくは1日1時間の歩荷を主としたトレーニングを継続し、心肺機能及び脚力体幹の強化を目指した。週4日はLSDペースですすめ、残り1~2日はインターバルやペース走など負荷を高めて行った。このトレーニングは山行2週間前まで行い、山行1週間前は全く身体を動かさず疲れを抜く事に専念した。その他、カーボローディングやウォーターローディングなどは行わなかった。
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